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グリザイユについて追記
2011/05/02 22:17 |
1月19日のブログ「ふたたび「グリザイユ」について」について、塩谷亮先生から「全文同意見」とのお言葉いただきましたが、「ルーブルにグリザイユの未完成画がありますね」とのことで、「そんなのあったっけ~?」と思ったのですが、後日先生からこの画像送っていただきました。
忘れてました...。プリュードンの作品です。
スクリーンショット(2011-05-02 21.57.53)
(撮影 塩谷亮画伯)

18世紀末から19世紀初めに活躍した新古典主義時代の人で、ダ・ヴィンチに影響を受けてスフマート(ぼかし)で描いているのですが、強力にぼかして描く場合、色はそれを難しくしますので、このような方法をとったのかもしれません。

が、しかしこの絵はグリザイユ(というかカマイユというか)ではあるものの、「現在日本で考えられているグリザイユ/カマイユ技法」(グリザイユ/カマイユのモデリングに透明色をグレーズして仕上げるというもの)の作品かというと少し違うかもしれません。
これに透明色をかぶせてもこの顔の様な肌色にはならないので、不透明ないし半透明の色をかけている様に見えます。(椅子は透明色っぽい)
スクリーンショット(2011-05-02 21.59.08)

有名なプリュードンのジョセフィーヌの肖像も、グリザイユの下層描きが行われている上に、それを少し透かしながら不透明の薄い層をのせている様にも見えます。(あくまで画像を見ただけでの私の推測)
スクリーンショット(2011-05-02 22.02.06)
ちなみに塩谷画伯はグリザイユに透明色で描いているとよく誤解されるそうですが、グリザイユの下層を生かしながら不透明ないし半透明中心に絵具を重ねておられます。(美術の窓2010年4月号参照)
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しかし、同時代の画家であるジロデのこの2つの作品は、色調がちょっとヘンなので、グリザイユ/カマイユに透明色という方法が主体になっている様に見えます。
スクリーンショット(2011-05-02 22.03.12)

スクリーンショット(2011-05-03 7.40.09)




単色ないし2色くらいで描けばぼかしがやりやすく、カリエール等もそういった理由で色をあまり使わないのだと思いますが、新古典主義のように整然とした形を重視する写実的な絵画の場合も色が無い方が描きやすくなります。
ウィキペディアの「新古典主義」の中にもこのように説明があります。
「新古典主義の巨匠アングルと、ロマン派の巨匠ドラクロワの対立は有名だが、これは17世紀の、素描のプッサン派と色彩のルーベンス派の論争に類似している。ー中略ーそして連綿と続くこの対立はアングルが指摘したように、色彩が優位を保つには手数が少なく素早い制作であることが不可欠であり、卓越した形体表現に必要な階調・バルールの徹底的な研究と絢爛たる色彩が両立しないことが根底的な理由である。」

とはいえ新古典主義の画家達がすべてカマイユ/グリザイユ主体で描いた訳では無く、一部に過ぎません。
ジロデもプリマを主体にした作品の方も多く描いています。

繰り返しになりますが、「古典絵画のほとんどはグリザイユ技法で全部描いてある」ということが間違いであって、グリザイユ/カマイユは技法の一部として行われたり行われなかったりしたということです。

また、「レンブラントはグリザイユだけで描いたりしない」という事を書きましたが、塩谷先生から「初期の作品はグリザイユ/カマイユで描いた物もありますよね(画面全体という意味ではなく)」とのことで見直してみると、今国立西洋美術館に来ているレンブラントの初期の作品のこれなんかは色調の感じからけっこう全体的に行われているかんじがします。
スクリーンショット(2011-05-02 10.41.36)

この人の描き方はけっこうなんでもアリで作品によって色んな事をやっているので、グリザイユ/カマイユだけで描いたりはしないものの単純にプリマだけでもなく、グレーズはもちろんやってるし、乾かした画面に透明ないし不透明の絵具を塗って拭き取る(かなり残して陰影にしたり、絵具の凸凹にだけ残してニュアンス付けや
質感の表現にしたり)といったこともやっているので、私のようなものが簡単に読み取れる様なものではありません。(他の絵ももちろんそうですが)
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制作過程




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